現在の本殿は、江戸時代の初め、今から約370年前の慶安元年(1648年)に福山城を築いた水野勝成公によって再建されたものです。このことは『一宮重興記』という古文書と本殿の至る所にある『宝珠の刻銘』によってうかがい知ることができます。
本殿の規模は、桁行七間(18.48m)・梁間四間(9.7m)の入母屋造平入で正面に向拝三間を付けます。屋根は檜皮葺で、正面は千鳥破風と軒唐破風が付いており、桃山時代風の豪華さが加えられています。内部は総柱で四面庇の平面となり、内陣(身舎)は壇を設け、外陣(庇)より一尺八寸床を高めています。内陣の背面側の中央三間はさらに一尺八寸床を高め内々陣(神座)とし、正面を板唐戸、三方を板壁で仕切っています。内々陣両脇の一間(中陣)は框を廻し、外陣より七寸床を高め、内・中陣は折上小組格天井とし、壇廻りに高欄や格狭間を設け仏堂風の構えとするほか、昇殿して内部で祭事や参拝を行うことや、本殿正面に「虎睡山」の扁額を掲げる点にも神仏習合的特徴が見られます。
昭和40年(1965年)に、国の重要文化財に指定されています。