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備後一宮吉備津神社は、福山市新市町の神社です。

電話でのお問い合わせはTEL.0847-51-3395

〒729-3104 広島県福山市新市町宮内400

ご由緒HISTORICAL ORIGINS

御創建は平城天皇の御代、大同元(806)年3月、備中中山吉備津神社より分祀されたと伝えられ、古い記録を見ると
備後国吉備津宮八講之縁起(びんごこくきびつみやはっこうのえんぎ)」には、長和3(1014)年法華八講(ほっけはっこう)が始められたとされています。また、京都祇園社(八坂神社)の「社家條々記録(しゃけじょうじょうきろく)」には、久安4(1148)年、法華八講会(ほっけはっこうえ)の御八講料所として当社が宛てられたことが記されています。
 鎌倉時代に入り、「百錬抄(ひゃくれんしょう)」には、寛喜元(1229)年11月27日、備後国吉備津宮焼失とあり、その後、再建ののち、時宗を開いた一遍上人が弘安10(1287)年、当社を参詣し、その様子は国宝「一遍上人絵伝(一遍聖絵)」(鎌倉・清浄光寺蔵)に描かれています。そして、永仁5(1298)年、京都六波羅より神領壱万六千貫を受け、当時の繁栄ぶりがうかがわれます。
 南北朝の争乱期、「太平記」には、元弘元(1331)年9月、桜山茲俊(さくらやまこれとし)公が楠木正成公と東西相呼応し、ここ一宮で倒幕の兵を挙げたことがでてきます。楠木公の赤坂城落城の誤報を受け、もはやこれまでと、元弘2年正月21日、妻子一族郎党と共に自刃され、兵火は一宮まで及んだと伝えられています。「吉備津宮勘合略記(きびつみやかんごうりゃっき)」には、永和2(1376)年、小野宮左近将監により本殿が再建され、この時、三宮を正宮一宮とし、南北の二宮は正宮に合祀したことが記されています

備後一宮吉備津神社

〒729-3104
広島県福山市新市町宮内400
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